こんな夢を見た。
私は友の家を訪ねていった。その友は親しくしていたが、ここのところあまり会っていなかった人である。
友の家は、私の今住んでいるところからは遠く離れているのであるが、私は自分の家から徒歩で彼の家へ向かった。
歩く途中の風貌は捉えることができなかったが、困難な道のりではなかったと思う。労も少なく彼の家へたどり着いた。
部屋のドアを軽く叩き、反応を待つ。この瞬間の緊張感はどのような相手であっても感じてしまう感覚であろう。
中から施錠を解く音が聞こえ、その首が現れた。「まあ入りたまえ」という普通の歓迎であり、私もそれに付き従い部屋へ入ることにした。
ここでその部屋の異常性を目にしたのである。上り框で靴を脱ぐと、そこは浴槽であった。
幅の広い浴槽が、ただ、そこにあるのである。ふと周りを見渡すと、壁面は普通の部屋なのだ。
普通、アパートの浴室であれば、浴槽とは、狭くてタイル張りなどの浴室に設置され、腰ほどまでの高さで蛇口とともに固定されているのが一般的であろう。
しかしこの部屋では、床がそのまま浴槽なのである。真珠色の浴槽にお湯が張られ、湯気が沸いているのである。これには私も驚いた。
私は人を訪ね、靴を脱いで玄関をあがったところで、なぜか風呂桶の縁に立っているのである。
そもそも、キッチンが無い。彼の部屋は間取り1Kであった。玄関から居室までの間には広めのキッチンがあったはずなのだ。
そのあるべきものが無い2.5m四方の床に、縦に2m、横に1.5mはあろうかと言う浴槽が埋まっている。
彼は何食わぬ顔で、本来の居室へ下がっていった。私は困惑しながらも、湯に浸らないよう服の裾を押さえながら後についてゆく。
私の用事としては、彼に借りていた携帯型の遊具を返しにきただけなのであったが、風呂が気になってしまい、いまいち切り出せず、落ち着けない。
私は彼に「なぜ風呂があるのだ」、しかもこんなに大きな、それに突然、と恐る恐る訊ねた。
彼は居室の奥にある、2段で戸板2枚分の幅の収納の下の段に上半身を屈め、中に入っている本や雑誌、紙の束などを漁り、何かを探しているようであった。
訊ねた声に反応が無かったため、もう一度彼に「玄関に風呂などあっただろうか。以前来たときには無かったと思うのだが」と声に出すも、自分で自分の発言の不自然さに気づき語気を弱めていく。
と、彼はこうも淡々と返した。「楽に浸かれる風呂が欲しくなってな、新しく作ったのだよ。」
ここで様々な疑念が生じるのが常道であろうが、そのときの私は動転していたため、「そうであったか。なるほど」と納得してしまった。
彼はさらに、「足を伸ばせて入れるお風呂は最高だ。」と付け、「風呂へ入った位置から見えやすいところにテレビも設置してあるのだ。これは便利で良いぞ。」とも言った。
私はこの時点でやっと違和感を感じれるほどには落ち着いてきたのだが、「なるほど、入浴中に楽にテレビが見られるというのは便利かもしらん」と頓馬にも関心してしまっていた。
居室と、元キッチンであった浴槽の間は敷居に隔てられているため、観念から払拭するために戸を閉めた。
これで、囚われることはあるまいと彼に私の用事である遊具の返却の旨を振り返りながら告げると、彼はまだ収納の紙束と格闘していた。
果たして何を探しているのだろう。私がこの部屋に来てから、すぐに漁り始めたようにも見えるが、私が来る前から何かを必死に探していたようにも見える。
「何か見つかりにくいものでもあるならば、探すのに手を貸そうか」私は収納に近づいた。
彼はまるで自然薯でも掘るように書類の山に顔をうずめていたが、息継ぎのためか顔を上げると、「ふぅ、やっとみつけた」と言い放ち、書類の山に片手だけ埋めて何かを引っ張り上げた。
それは取っ手の付いた板切れであった。また、それは何かの蓋のようであった。
「おい、それは何なのだ」と私は彼の足元と収納を覗き込むと、そこに今まであった紙束の類が暗がりの収納の底に吸い込まれてゆくのが見えた。
この男は何をしたのだ、と恐怖を感じ、しかし、この家へ訪ねてきたのは私自身なのだ、成り行きに任せるしかないのだと諦観に達した。
収納のドア片方の幅だけ床が裂け、収納から部屋の中ほどに掛けて床が窪み、畳が割れ、1m程裂けた。
私はその断裂された床の脇に飛び避け、彼の次の行動を待った。
「くふふふふふふ。」彼は不敵に笑い、こちらに一瞥をくれたあと、私とは逆の裂け目の縁にしゃがみこみ、何かを捻った。
するとジヤッと音がし、煙が上がり、収納の奥の方から熱い何かがが勢いよく、その裂け目に注がれ始めた。
私は慌てて仰け反り、尻をついた。ジャボジャボジャボジャボという音を聞く限り、この穴は、それほど深くは無いようだ。
煙に咽びながら、目と口を覆い、後ろ手にあった雑誌で扇ぎ煙を晴らした。
するとどうだろう、その穴はまたしても浴槽であった。茶褐色の浴槽であった。
彼は嬉々として、「なぜかもうひとつ欲しくなったので、こちらにも作りつけたのだ」と言い笑顔を零した。
私は、ふひっ、と素っ頓狂な声を上げ、起き上がった勢いのまま振り上げた拳で彼を打擲した。
そして、玄関へ向かい、靴を履きながら浴槽に放尿し、部屋を後にした。
彼に返すべきであった遊具は、未だ私の手の中にある。